恒久とフラクタル
———正しい一つの真理を求めるのは狂気への道だ。
起こること総てに理由がある、と幼い頃から育てられてきた。
だから、総ての事に常に理由を探して来た。幸せや哀しみ、殺してしまった蝶や私自身の命に対しても。
ぼんやりと与えられた神様を捨てて、生きることにも死ぬことにも理由は無いと気づいた時初めて真理を求める事を止める事が出来た。最終的にそれは意味があった事だとしても、それは最期に解ればいいからもう考えなくて良いと思えたのはつい最近だ。
どれだけダーティ・ワークに塗れようと踠けども真理について考える時意識のギアが変わる瞬間がある。あれは長年の信仰から得た所謂『変性意識』なのだろう。
宗教が完全無欠の形を造形や旋律において求め続けた来たその必然性は、信仰によるトランス状態、全能感というものを経験した私には理解できる。だけれど完全無欠なドグマも信仰も芸術も今の所人間は私の知る所で創造されてはいないから、人の祈りが個人を越える瞬間は 尊く、寒々しく、恐ろしい。
------------------------------------------------------------